理事長のごあいさつ



     rijityou


   愛のおのずから起るときまでは
                        ― 理事長就任のご挨拶

                    NPO 法人今井館教友会理事長
                                              加納 孝代

    このたび今井館教友会の理事長に就任した加納孝代でございます。西永頌先生が2020年7月から2年間理事長を務められた時、私は副理事長として先生の活動の傍らにおりました。その後任を務めることとなった私は、西永先生と比較してあまりにもかけ離れて小さな能力しか持っておりません。しかし共に任務を担ってくださる 10名の理事と、10名を越すボランティア職員の方々とご一緒に、今井館の使命の遂行に取り組んでゆきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
   今井館の使命について私は次のように考えております。それは内村鑑三、またその薫陶を受けた次の世代、そしてさらにそれに続く世代の方々が、近代日本の思想史、精神史、社会史に刻まれた、真っすぐで清冽な生涯を語り継ぐ場所であり続けるということです。そのことは『今井館ニュース』52 号に「新今井館に託する思い」として書かせていただきましたので、ご参照下されば幸いです。ここではそれにつけ加えてもう一つのこと、すなわち「無教会」とは何か、について私の考えを述べたいと思います。
 「無教会」とは、神を求め、神に近づくのに、カトリックであれ、プロテスタントであれ、制度としての教会は必ずしも要らないという立場をとるものです。その結果、キリスト教信仰を求める人々にとって、間口が広くなり、ハードルが低くなりました。
  西洋の中世では、神に近づく道はローマ教皇を頂点とする唯一の教会に属し、その指導に従うこととされました。ルターに代表される宗教改革運動は、ローマカトリック教会だけが神に近づく道であるという前提を否定しました。そこから数多くのいわゆるプロテスタント教会が生まれました。日本で内村鑑三によって明治時代に生まれた「無教会」の運動は、プロテスタントの考えをさらに深め、神のみ心を知るには、聖書を読み、聖書の言葉の中に神からの示しを尋ね求めることを勧めました。神のみ心を、この世に憐みと正義と公正をもたらすことであると理解し、神とイエス・キリストに喜ばれる道を歩きたいと願うならば、それはキリスト教の信仰です。制度や組織としての教会に属するか属さないかは副次的な問題であり、属しても良いし、属さなくとも良いのです。
  このように「無教会」の考え方は人間の自発性を促すもので、自然科学や人文・社会科学の研究成果に対しても自由かつ寛容で、聖書の解釈についての批判も許容する姿勢につながってゆきます。世の中にはキリスト教の内にも外にも多くの社会的、あるいは宗教的な活動団体があります。この世に憐みと正義と公正を実現することが神のみ心であるという姿勢をとる無教会は、同じ目標を掲げる数多くのグループとも手を取り合ってゆくことができます。
  神は「善かれ」と願ってこの世界と人を創造されました(創世記1章31節)。にもかかわらずその理想どおりにはなかなか生きることのできない私ども人間に対する神の忍耐を、私は旧約聖書の雅歌 8 章 4 節の、「愛のおのずから起るときまではことさらに呼び起こすことも、さますこともしないように」に感じます。
  私は今井館が、神を求める人々の真理探究の思いを受け止め、支え、神の導きを祈る場所であってほしいと願っています。神の忍耐に感謝しつつ、今後とも今井館がそのような役割を果たしてゆくことができますように、力いっぱい働いてゆきたいと思います。
                    
             2022年7月1日
                               NPO法人 今井館教友会
理事長 加納 孝代

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